こんにちは!
息子と妻と暮らす外資系研究員、Mr. Hです。
ここでは、私のプロフィールを書いていきます。
どんな人がこのブログを書いているのか知りたい方は、目を通して下さいね!
バレないからって、話を盛るなよ!
1979年に生まれ、静岡県で生まれ育ちました。
小学生高学年くらいから、少しずつ学校の勉強に熱が入り、高校入試では毎日そこそこ遅くまで勉強していました。
と言っても、入学した高校は、地域では超普通な普通高校。大学の進学先も大したことない高校でした。
この高校を選んだ理由は、やっていた部活(陸上部)が強かったからです。
部活は強かったんですが、あんまり勉強しなくてもなんとかなく環境でした。
高校時代、唯一好きだった教科が化学でしたので、大学は化学系に進みました。
入学して知ったのですが、私が入った学部は留年率が4割もあり、大学時代はそこそこ勉強したり、夜遅くまで研究室にこもって、実験を繰り返す日々を過ごしました。
勉強以外は、バイトにはまっていました。
私がやったバイトは、コンビニ・焼肉屋・魚屋・年末年始の神社・年末の餅づくり・塾講師・家庭教師などですね。
特に家庭教師は、自分に向いていたのか、生徒からも親御さんからも好かれ、夕食を食べさせてもらったりすることも多かったです。
大学卒業後、国内の電子部品メーカーに入社しました。
生産現場の技術導入や既存技術の向上などの仕事で、入社して間もないころから、ドンドン一人で動くことができる職場でした。
自分が動けば動くほど、大変な目に合うこともありましたが、総じてやりがいを感じて、突き進むことが出来ましたね。
今となれば、失敗を知らない新人ゆえの働き方だったかと思います。
まぁ、いろいろと積極的に技術開発を任されていたので、業者さんやお客さんとの会議に出席することも多かったです。
このころ付き合いのあった納入業者さんへ、この数年後転職することになります。
2000年代半ばになると、徐々に会社の動きが怪しくなり、社内も以前のような活気がなくなりました。
私生活においても、父親が倒れるなどを経験して、今後どうしようか考え始めた頃でした。
そんな時、納入業者でもあった外資からオファーが来ました。
この相手とは、良くさせていもらっていて、会社への訪問も何度もしていたので、だいたいの様子はそれなりに分かっていました。
新卒で入社した会社の状況や自分の次のステップを考えて、この外資のオファーを頂くことにしました。
もちろん、この外資にいきなり次の日から、働くわけも行かないため、少しの期間をおいてからの入社になりました。
外資に転職してからは、ちょっと挫折もありました。
転職者によくある失敗をやっていましたね。
例えば、
「前の会社ではこうやってましたよ~」
とかって何気なく言っちゃたり・・・。
そもそも、私は以前顧客として働いていた訳で、私の強気の交渉にうんざりしていた人も中にはいたようで・・・・。(私としてはやるべきことをやっていたのですがね。)
まぁ、ちょっとイジメられる事がありましたね。正直に言っちゃうと。
でも、そんな状況でもなんとかここで一旗揚げてやる!と思い、コツコツ頑張っていきました。
小さな仕事でもきちんとやっていれば、少し信頼されて、次は少し大きな仕事を任されてもらえる。
そんなふうに健気に思って、頑張っていました。
英語を頑張ろうと思ったのも、見返してやるっていう気持ちも少しはありました。
でもそれ以上に、外資の中にいたら、英語の必要性を痛感したため、英語が出来るようにならないと、最終的には自分のやりたい仕事を任されないという気持ちからでした。
外資に転職してから10年くらいが経ちました。
この間、去っていった仲間も多かったです。
そして、仕事でも徐々に、中心的な役割を負うようになりました。
海外からの問い合わせも多くあります。
とりあえず、日本のあいつに聞いてみよう!って感じで、変に頼られている自分がいます。
(正直ちょっとうれしい)
これもくだらない雑用のような仕事を腐らずにやったり、英語を頑張って身に着けたからだと思います。
結構、いろんなことを乗り越えてきて、分かったことがあります。
それは
「少し位高い壁を常に上っていないと成長できないってことです。」
正直、壁があると苦しいし、最初は居心地も悪いです。
でもそれを通り越してこそ、また一つ成長できるんです!
なんか最後、急に熱い奴になったな。大丈夫か?
熱くなるくらい、伝えたいんだよ~